水に溺れる夢

水に溺れる夢を見た朝、いつものようにあなたを想った。カーテンを開けると、空は透き通っていて、暗くもなく明るくもなく、今にも欠け落ちてなくなりそうな細い月が頼りなく光っていた。あなたが幸せでありますように、そう祈って深呼吸する。こうやって同じ時代に生きていて、認識しあって、言葉の遣り取りをしていることを想う。どんなに深く知り合ってもすれ違う人もいれば、ふと触れた手のぬくもりだけで愛を感じ、満たされる人もいる。

水道の蛇口をひねると、新鮮な水が出てくる。欲しい時に欲しい分だけ出てくる。使い終わったものは暗く低いところへと流れ落ち、もうそこにはない。そんな愛を提供できる人になりたい。そこに溜まる水は少なくて良い。器も小さくて良い。いっぱいいっぱいにあふれるような愛ではなく、愛する人がひねると出てきて、ひねるとそっとしまるような愛でいい。それは器用さとかそういうのではなくて、反射神経のようなものに近い。能動的でもなく、受動的でもなく、いつもそこにあって、そこにない。そんなことを想う朝だった。

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