夜のショパン

清塚信也の「夜のショパン」を聴きながら、眠りについた。心に芽生える苛立ちや失望をどこへもぶつけることができずに、物に当たりそうになる。投げつけたいのは、私自身の乱暴な心であり、ぶつけたいのは分からず屋な自分自身。心身ともにくたくたになって、思考停止状態にも関わらず、まだ呪詛のように自分を貶める言葉が湧き上がってくる。何かを否定することでは、何も生まれない。しかし、これが素裸の自分であり、普段の私はよそ行きのかりそめの姿。翌朝、ひどい顔で目覚めて、鏡を見る。余りにもひどい顔で思わず苦笑い。醜く愚かで嘘の貼り付いた笑顔。自然に笑える日は戻って来るのか?アルバムの中で、「ショパンへの3つのオマージュ」の3作品が好き。心の琴線に触れて、苦悩が和らいでいく。なぜ生きる?の問いに、死ねたら楽になれるのになという強い反応が返って来る。それは答えではなくて、誘惑に過ぎない。なぜ死なない?の問いにはすっと答えが出てくる。それはきっとこれからいいことも必ずあるからという答え。それはこれまでの自分が身をもって証明した確かな答えだからだ。生きるのにも死ぬのにも答えはない。ただそれはこの世界で誰にも決められない摂理。こうやって文章を書いていくことで心を整理している。わりと素直に書けている。醜くて愚かで嘘つきでもいいではないか。人間はいつかは必ず死ぬ。それまで悶々と悩み、考え、何かにたどり着き、見つめた風景の中で、また考える。そういう生き方もまたいいのではないか。笑って暮らしたいが、そういう生活は長続きしなくて、性に合わない。無理がある。いつもどこかで破綻してしまう。自分を何かに例えたら、大きな穴のある倒れかけの樹だと思っている。花も咲かず、実も結ばないが、そこに争いはない。そこに愛はあるのか・・・?きっと私には愛はなくて、根気強さで身についた条件反射でひねり出される、一つひとつの表現でしかないのだろう。後は受け取る側の感じ方だけだ。

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