最期に

もし命の尽きる最期に望みを聞かれたら、濃い目に入れた熱いコーヒーが飲みたい。でも、死ぬときにはそんな望みなど叶えられるはずもなく、命は奪われてしまうものなのだろうな。僕は神様はいると信じているけれど、神様は残酷だと思っている。だから、ほんとうの意味で無心に信じている訳ではない。親戚の人達がある宗教に入っているが、僕は一旦入ったけれど、信じきることができずに抜け出た。僕には僕だけの神様がいればいい。残酷で無慈悲だけど、時に美しい姿を見せてくれる、自然のような、人間の本性のような、神様がいる。だから、他のどんな宗教に勧められても、たぶん信じることができないだろう。だから他の人の宗教観を否定するつもりはない。でも、だからといって肯定もしない。僕には死ぬときに一杯のコーヒーがあればいい。命あるかぎり生きようと思っている。見苦しいかもしれないけれど、ギリギリまで生きることに執着したい。命は最後の切り札だと思っている。でも、命に変えてでも守らなくてはならないものもやっぱりあって、そのための切り札として大事にしておきたい。そのための胆力のようなものを身につけていくことが今の大きな課題。五十歳になるまでには、どんな大きな出来事に出会っても、繊細な中にびくともしないようなもののある男になりたい。その時に飲む最期のコーヒーはきっと人生で一番美味しいコーヒーになるだろう。コーヒーを飲み終わったあと、にっこり微笑んで人生を終えたい。でも、神様はそんな幸せな最期を用意してくれるものでもないと思っている。通りのゴミ拾いをしていて、交通事故にあって拾い集めた犬のフンにまみれて死ぬ最期もあれば、もがき苦しむ最期もあるだろう。でも、どんな死に方でも、ああ最期のギリギリまで生きてて良かったと思えるような生き方をしたい。

2件のコメント

  1. 私も、神様も、仏様も、いらしゃると信じています。
    同じく、ある宗教にはまったことがあります。
    心底、信じることが出来ずにやめました。
    神様は自分が信じる心の中にだけ居るのだと思うのです。
    間違っているかも知れません。

    この世に有る全ての物の中に神様はいるのだと。
    そう思うと、感謝の気持ちが湧いてきます。

    ふと、今誰かに助けられた‼️ と思う瞬間が今までの人生の中で
    何度かありました。

    いいね: 1人

    1. この世に有るすべてのものの中に神様はいるという
      感じ方や考え方、私も好きですし、共感します。
      巡り巡って、人を助けたり、助けられたりということの繰り返しの中に
      人生はあるのかもしれませんね(^^)

      いいね

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