今昔の話

日曜日のお昼前に、大沢誉志幸を聴きながら、ベッドに寝転んで、村上春樹の小説をむさぼり読んでいた学生時代、世の中はキラキラとしていた。街にあった、レコード屋や本屋で、新作が出るのが待ち遠しくて、学校が終わればすぐに自転車をこぎ出して、予約していた商品を手に入れた。ジャケットの歌詞カードが擦り切れるまで、何度も読み、繰り返し繰り返しCDを聴いた。本も手垢がついても何度も読んで、好きなセリフやフレーズは暗唱できるほど好きだった。

土曜日の午後は半ドンで、部活を終えたら、ビリヤード場で球をついて、遠回りしてでも友達と語らいながら、帰宅した。

試験が終わると、クラスメイトが集まって、たむろって、バービーボーイズやユニコーンなどを合唱して、徹夜して、明け方にそっと帰った。

あの当時、インターネットやSNSはもちろん携帯すら持ってなかった。

そして、世の中は変わり、現在の日曜日のお昼前には、radikoでラジオを聴きながら、ネットで知り合った友人とSNSを通じて、コミュニケーションしたり、街にあるお気に入りのカフェでコーヒーを飲んだり、kindleや楽天koboで本を読み、気に入った本だけ購入して、手元に置いている。雑誌は定額で流し読みし、漫画はアプリで広告を見て、ほぼ無料で読んでいる。音楽は定額で世界中の音楽を聴ける。好きな作品だけ手元に置く。多数の作品が世にあふれて、心にいつまでも残る作品が少なくなってきている。大きなムーブメントやブームはあるけれど、あえて乗らずに、自分で探し出したアーティストを大切にしている。プロとアマの垣根が取っ払われて、大切にしたいアーティストを応援する意味でも、お金を支払って作品を購入している。

消費される作品が増えている中、何度も何度も繰り返し大切にされる作品は、フレーズが切り取られて、リブログされて、拡散されている。世の中の醜い部分に触れそうになると、そういう世界からはあえて距離を置き、醜くても美しい、美しくても醜いという、バランスの取れたものを見ている。

何でも気軽に手に入るし、大切にする方法や手段も変わってきていて、比べようがないが、何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得るという論理だけは変わらず、根底に流れているように思う。失うことも大切な世の中に生き、たくさん手に入れれば幸せなのではなく、手に入るものの質や量は有限で、選べる時代だからこそ、取捨選択する意思や能力は磨いていきたい。

現在は現在で気に入っている。自分なりに幸せを見つけながら、仕事し生活している。これからもどんどん世の中は変わっていくのだろう。時代の流れを見極めながら、取捨選択していきたい。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中